奈良県立大学ユーラシア研究フォーラム2023「次の文字を、書いてみる?」を開催しました
ユーラシア研究センターでは、澳门威尼斯人官网_mg电子游艺5年3月21日に、「次の文字を、書いてみる?」と題して、奈良県立大学において「書」をテーマにしたフォーラムを開催しました。
開催にあたり、当センター副センター長(/特任准教授)の中島敬介から趣旨説明を行った後、基調講演、ディスカッション、ワークショップなどを行いました。
開催にあたり、当センター副センター長(/特任准教授)の中島敬介から趣旨説明を行った後、基調講演、ディスカッション、ワークショップなどを行いました。
中島副センター長
基調講演 「習字、書道、芸術から書を解く。」
はじめに、書家の桃蹊(柳井尚美)様から、書の歴史や書の大家とされる人物の作品を中心にスライドを交えて、「書」について講演いただきました。その中で
などのご報告をいただきました。
- 書芸術という考え方が生まれたのは、中国において文字を神聖化する考え方が長く続いたこと、漢字というものが巧妙な構造であること、書の用具に筆が用いられたことに要因があると考えられる。また、その反対に「書は芸術にあらず」という指摘もあり、論争になった歴史もあった。
- 「書道」という言葉は1500年以上も前に中国でつくられたが、「道」には、伝統の継承や宗教、道徳を大切にするという意味もあり、日本人にしっくり当てはまると思われる。
- 書は難しいが、誰でもできるということ。そして、書はその巧拙と芸術性の認否という二面性があるが故、書について語るのは非常に難しいということ。しかしながら、文字として書かれたものはひとを動かす「力」がある。
などのご報告をいただきました。
桃蹊(柳井尚美)様
桃蹊 様 作品の「書」
ディスカッション「書を日常の風景に。」
続いて、「書」についてディスカッションで、次の方々にご登壇いただきました。
岡本 彰夫 様(神主/本学客員教授)
綿谷 正之 様(元㈱呉竹会長/元学校法人白藤学園理事長)
萬谷 雅史(歓峰)様(筆管師)
桃蹊(柳井 尚美)様(書家)
谷 真理子 様(谷書道サロン主宰)
中島 敬介(※ナビゲータ)
岡本 彰夫 様(神主/本学客員教授)
綿谷 正之 様(元㈱呉竹会長/元学校法人白藤学園理事長)
萬谷 雅史(歓峰)様(筆管師)
桃蹊(柳井 尚美)様(書家)
谷 真理子 様(谷書道サロン主宰)
中島 敬介(※ナビゲータ)
ディスカッション 登壇者
中島副センター長のナビゲートにお応えいただく形で、和やかな雰囲気の中、「書」についてのお考えや見識など、貴重なお話しを賜りました。(以下、主な発言趣旨を掲載いたします)
岡本彰夫 様
- 私は常々、「書は人格」と考えております。気の強い人が文字書くと気の強い字になりますし、気の弱い人が書くとそうなるし、根性の悪い人が書くと根性の悪い字になる(笑)。自分の生き方や性格を是正するために、名人や上手と言われる方のお手本を置いて、そしてそれを写す、学ぶということは、結局生き方を変えていくということやと。
- 稽古と練習は違います。稽古と練習って根本的に違っていて、書の「練習」とは言わない、書は「稽古」と言います。踊りも「稽古」です。稽古は「古(いにしえ)を鑑みる」という意味で、昔の素晴らしい人のものを真似るというのが稽古です。そもそも「学ぶ」という言葉の語源は「真似る」ですから、まずはじめはその通りにしてみる、それで自分のものを作って、そして更に師匠を超えて離れていく。いわゆる武道でいう「守?破?離」、その「守」の部分が稽古です。なので「書」は修練の賜やと思うんです。修練で身につけた、その尊さを愛でるのが書ではないかと思います。
- 私が春日大社に奉職していたときに、毎日「社務日記」を筆で書していました。その日記は、鎌倉時代からの記録がずっと遺っています。心配なことがあって、ひとつは(古くからの記録が)永久保存ができるのかどうか。和紙に墨で書いたものは虫に食われない限り1000年遺ります。しかし、PCに記録したものは「飛んで」しまうとお終いです。もうひとつは、書道を知らない人が書いたものは字の崩し方がわかってないので、その人がいなくなると誰も読めない。いわゆる筆法があって、筆法に適ってないと字ではないというのが昔の常識なのだが、この頃は自己流で勝手に崩される人が多くて読めない。なので、私は春日大社を辞めてからも、書き遺ししておかないといけないものは全部筆で書いています。
- 今日ご参加いただいた皆さんは、「本物」(の書、用具)を目にすることができて幸せだと思います。この頃は偽物が多く、それも本物と偽物の区別がだんだんつかないになってきていて、ネットで検索しても、その情報が果たしてどこまで正しいのかが分からない。その点、この奈良という場所は「本物」をつくっている人が多くおられ、また今日は大変珍しい貴重なものを展示いただいているので、是非この機会に勉強していただけたら有難い。
綿谷正之 様
- 呉竹で全国の営業をしていたとき、ある書の先生が中国?明代(500年以上前)の墨を磨って書かれた書を見せて「500年経っても、ちゃんと書けるような墨が奈良にあるのか」と言われました。その言葉が、以後四十数年間、墨の勉強を一生懸命続けてきた私の原点になっています。
- それにもうひとつ、毛筆の文字をもっと普及していきたいという願いは、いつも頭の中にありました。やはり呉竹で営業をしていた時、ある方から「おまえところは墨も筆も扱っているだろ。なら、思い切って筆の軸の中に墨入れて字が書ける様な新しい筆作れないのか」という話をいただき、それから研究を重ねて、日本だけでなく世界中で大ヒットした筆ペンに繋がり、筆ペンというものを世界で初めてつくったわけです。筆ペンは、日本では文字を書く道具です。ところが海外へ行けばデザインの道具となってます。そうなると100色以上の色の筆ペンを作らないといけなくて、150色の筆ペンを作って世界中に輸出しました。その辺りから、呉竹が墨屋から脱皮する、ひとつの大きな契機になりました。
- 墨は3500年前につくられましたが、元々は松の木を燃やしてできた煤 ―松煙(しょうえん)という― が原料でした。その後、今から約1000年前に中国で、灯明に用いる植物油を燃やしてできる煤を溜めると、松煙の墨の色よりも黒くて綺麗な色が出たことから、墨の原料が植物油に変わり、今では奈良でつくっている墨も菜種油を燃やしてできる煤を用いています。墨というのは消耗品で、磨って無くなっていく宿命です。書の裏方の役割として墨があるということをお分かりいただければ有り難いと思います。
- 第二次大戦後、日本で「習字」、文字を勉強という機会が学校教育から消えていた時期がありました。その後、昭和32年に復活しましたが、その際に、ある学校の先生の「授業時間の半分は墨を磨るので終わってしまう。また、床に墨を落としたりして大変だ。もっと字の勉強をさせる必要があるので、磨らずに使える墨を作ってほしい。」とおっしゃったことが、呉竹が液体の墨を開発する具体的なきっかけになりました。ただ、最初はなかなか難しくて大変でした。今では非常に優秀な液体の墨が沢山出てきています。しかし、そのために固形の墨がだんだんと姿を消してしまいました。このことは非常に悩ましいところです。ただ、次の世代には墨がどんなものになっているかと考えると、非常に興味深いです。
萬谷雅史 様
- 天平筆については、自分が若いときに正倉院展を見た時に刺激を受け、「自分も作りたい」と思い取り組んできました。1300年も経つと竹の色なども違うので仕方がないのですが、形については本物と比べてもそんなに変わらない、大体納得いくものがようやくできたかと思います。
- 岡本先生も使ってくださいますが、昔は矢立(やたて)というのが主流で、ボールペンや万年筆が出来るまではそれが使われていました。その後、矢立を作る人がだんだんいなくなってきたので、自分も20年ぐらい前から作っております。使う人が少なくなったなと思っていたら、最近は短歌?俳句が流行っているようで、結構注文がきます。これからは、筆管だけじゃなくて、簡単に書道が出来るような道具が、書のひとつのアイテムとして面白いかと思います。
- 筆に関して、作る人がだんだん高齢化してきていることと、筆の毛先である原材料の確保についての不安があります。なので、技術面よりも材料面の影響で、時代とともに筆も変化していくのではないかと思っています。
桃蹊 様
- 書って、一回書いたらやり直しがきかないんですよね。お習字でもそうです。一筆書いたら、「ああ、この線歪んだなあ、もう嫌だなあ」と思って紙を捨てることはできるんですけど、一回書いた線は一回きりなんですよ。そういう意味で、一回一回が書だと思っているので全力でそこに向かいます。その書の「一回性」というか、書く行為、そこにとても惹きつけるものがあるので、作品を作る自宅の机の前でも、大きな舞台で書く時も、その一瞬一瞬の自分に変わりがないと思っています。
- 臨書の中には形臨(けいりん)と意臨(いりん)というものがあって、形臨はとことん(文字の)形を近づける。紙もサイズもその形にいく、もしくは半紙の中で徹底的に形を真似る。意臨は、古典の中には手紙が多いですけれども、その手紙にはいろんな感情があり、手紙の文章も読みつつ、そのひとの書いている感情の起伏を筆跡の中から汲み取る。個人的には、臨書は徹底的に形を真似ていく。どんなに真似て真似て、自分を捨てて捨てて削っても、結局はどこか「自分」が残るので飽きない、面白いです。
谷真理子 様
- 書道の歴史や文字を伝える書道講師のお仕事をするようになって10年以上経ちましたが、最近になってようやく「遺す」という意識が芽生えてきました。本日、展示させていただいている私の作品「無道人之短 無説己之長」は空海が書いた言葉で、「人の短所は追求するな、自分の長所は自慢するな」という意味です。この「書」を比叡山に行った時に目にして、大いに衝撃を受け、帰ってきて一生懸命書きました。日本で書道されている方の多くは技術を鍛錬されている方が多いと思いますが、「遺す」ということにも気が付くともっと楽しみ方が増えるのではないかと思っています。
- 書道というのは、怪我を治したりはできないけれども、自分がかつて書で学ばせてもらった豊かな心や広い心を、書の指導をさせていただく中で子どもたちに伝えていける、目に見えないものがあるんじゃないかというふうに、今は信じてやっていっています。私はとっても書道が好きで、有り難いことに、その気持ちに共感して書道にはまっている子どもたちは沢山いて、国や場所に関係なく共通するものがあると感じています。
ワークショップ「なに、書こうかな?」
午後は、谷真理子様(谷書道サロン主宰)による手ほどきで、参加者全員による「書」の体験を行いました。
前半は「墨遊び」で、墨筆紙を自由に使って、「遊び」の中、様々なデザインを生み出したり自己の表現を広げる作業を、後半は臨書体験として手本の文字(本日は「花」という文字)の昔のスタイルを数点示し、好きなものを真似るという形で進められました。
谷先生とアシスタントの方々による丁寧なサポートのもと、参加者自身が墨を磨る、筆を手にして書いてみる、すると谷先生「いいですね」。どんどん書いてみる、谷先生「素晴らしい!」。さらに書いてみる、またまたほめてもらえた! もっと書いてみる、参加者から笑顔が溢れる、歓声もでる、もっともっと書いてみる……見事な「書」の体験の場となりました。
また、他の参加者の「書」を互いに鑑賞し合うなど、「書」を通じた交流の華が会場内に開きました。
あっという間の、楽しい2時間半でした。
前半は「墨遊び」で、墨筆紙を自由に使って、「遊び」の中、様々なデザインを生み出したり自己の表現を広げる作業を、後半は臨書体験として手本の文字(本日は「花」という文字)の昔のスタイルを数点示し、好きなものを真似るという形で進められました。
谷先生とアシスタントの方々による丁寧なサポートのもと、参加者自身が墨を磨る、筆を手にして書いてみる、すると谷先生「いいですね」。どんどん書いてみる、谷先生「素晴らしい!」。さらに書いてみる、またまたほめてもらえた! もっと書いてみる、参加者から笑顔が溢れる、歓声もでる、もっともっと書いてみる……見事な「書」の体験の場となりました。
また、他の参加者の「書」を互いに鑑賞し合うなど、「書」を通じた交流の華が会場内に開きました。
あっという間の、楽しい2時間半でした。
谷真理子 様
(後ろはご自身作品の「書」)
また、この日は終日、登壇者の方々による「書」と貴重な所蔵品の展示ご協力をいただきました。
岡本彰夫先生のおっしゃった、普段なかなか目にすることができない「本物」ばかりです(以下にそのほんの一部を掲載いたします。写真ではその神髄が伝わらないです…申し訳ありません)。
岡本彰夫先生のおっしゃった、普段なかなか目にすることができない「本物」ばかりです(以下にそのほんの一部を掲載いたします。写真ではその神髄が伝わらないです…申し訳ありません)。
筆(萬谷雅史様所有)
墨、硯(綿谷正之様所有)
進行の都合上、時間内に質疑応答の時間をご用意できませんでした。申し訳ありませんでした。
頂戴しましたご質問について、下記ファイルにより回答させていただきます。
参加者の方々におかれましては、ご参加いただきありがとうございました。
また次の機会にお目にかかれることを楽しみにしております。
頂戴しましたご質問について、下記ファイルにより回答させていただきます。
参加者の方々におかれましては、ご参加いただきありがとうございました。
また次の機会にお目にかかれることを楽しみにしております。